1983年1月23日日曜日

1983年1月23日(晴)

小説「安宅産業」(阿部牧郎)を読んだ。大企業だから大丈夫と思うのは間違っている。

安宅の場合、安宅ファミリーと呼ばれる一握の人々のみが実権を持っていて、それに反対する人の意見を聞かないのみならず、左遷させ自由な意見の交流が出来なくなっていた。

このため、一部上層の独断によりUSA安宅の焦げ付きを発生させ、取り返しのつかないようになった。

伊藤忠から乗り込んだ社長は極力、中間管理職以外の下の自由な意見を聞こうと努力したようだが、それももはや効果なく、安宅は一部(1/3の人員)を伊藤忠に合併し、その他は切りすてられた。

人員整理については、それぞれの運、不運、たとえばたまたま鉄鋼部門にいれば伊藤忠に移籍したが、繊維におれば首切りというような具合。

またこの場合、それぞれの能力というものは無視されるようで、良くもなく、否もないような者が伊藤忠へ行ったようだ。

伊藤忠へ移籍してももはや出世の望みはないと思われ、能力のあるものはむしろやめて行った。

希望退縮という首切りが完了するまでの各人の挙動、気持ちは、私にとっても将来あるかもしれないという観点から、切ないものであった。

会社が用意した再就職先も、これらはほとんど住友銀行の取引先で、無理やり押し付けられたものということで、たとえそこへ再就職しても将来どうなるか。

主人公三宅は非鉄鋼部門にいた仕事のできるタイプ。日常の業務以外にマレーシアの資源開発プロジェクトの中心人物であった。

このプロジェクトは、他の大商社から引き受けの話があったが、その背後に旧安宅ファミリーの重役が、その仕事を引き継ぎ安宅一族を残そうと考えていた。

これに参加しなかと三宅には声がかかっていたが、当時の上司に譲った。しかし、旧安宅がそのプロジェクトをとるとのことが判明すると、住友銀行はその商社に渡すことは止めて、別の小さな鉱山会社に渡すことにした。

このため上司の課長は退職後行くところがなくなったが、別の話から再就職したとのこと。

最終的には三宅は、このプロジェクトについて鉱山会社に行くか、女房の親戚からの話の民芸品店の大阪支店長になるか選択を迫られ、伊藤忠への移籍は完全になくなる。

これも、三宅自身の運不運で、たまたまこのプロジェクトを仕事にしていたためと考えられる。結局民芸品店に決心するわけであるが、人間の運・不運というのを、自分で何とかできないものか。

しかし、三宅にとってはこの民芸品店長が結局最善で、一時は不運であったが、最終的には運が良かったのかもしれない。

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