1983年1月30日日曜日

1983年1月30日(晴、夜雨)

9時起床。子供達はすでに起きて食事を済ませていた。

朝食後家の掃除を手伝った。妻はサンハライを使用しない。和室は徹底的にサンハライをかけ、タンスの上、蛍光灯の上などホコリをとった。

午後から、笹沢版「真田十勇士」を読む。明智光秀が山崎合戦の後も30~40年生きていたとする説での話でおもしろそうである。

4時ころから駅の方へ買い物に出かけた。私はポケット辞典、次女は5才用国語テストを買った。長女は結局何も買わず。

夜、風呂に入った後、再び「真田十勇士」を読み、途中11時ころに寝た。

1983年1月29日土曜日

1983年1月29日(晴)

  9時起床。シュガレディーのTELに起こされた。妻は次女を幼稚園へ送って行っている。今日も幼稚園はカゼのため休園となって帰ってきた。次女は元気だが気をつけてやらなければ。せいぜいうがいを励行させる。

  昼食後「自らの定年」(高杉良)を読み終わる。

  主人公新井は人間的に見ても共感を覚える人物であった。会社には出世欲のみで、他の人間のことを考えず、さらには自己の出世のため他人をいかに蹴落とすかを考えている人もいる。

  確かに、攻撃は最大の防衛で、いかに他人の立場を悪くすることだけを考えているものも我々の身辺にいるような感じ。我々の身辺のそのような人について、誤解していること望むが。

  新井と対照して出てくる本明も出世欲のみの人間であった。一流大学を二人とも出たが、新井は一流商社光陵商事入社、本明は当時電気部品の町工場サンライト工業に入社した。

  新井は出世街道を進んでいたが、新井の提案から新しい合成樹脂の加工工場として浅岡化工に資本参加することになった。

  新井と浅岡社長とは親しい関係で、あくまで新井は浅岡化工のためを思って光陵商事に紹介したが、新合成樹脂プロジェクトチームは、浅岡化工に膨大な投資をやらせ、資本参加した。

  このため浅岡化工は赤字になり、社長は会長に押し出されるという事態に進んだ。これにより浅岡化工は一時的に社員の首切りを行い、この組合員たちおよび浅岡社長のうらみはすべて新井に向けられた。

  新井は妻と両親の反対を押し切って結婚している。反対のわけは、妻真理子が美人で頭もよいが母親一人ということと、高卒であることからのため。新井の両親、兄弟はすべて一流大学卒、そして外交官など社会的に上層のひとであることから、結婚反対となった。

  この点からも妻は気苦労が多かったが、この浅岡化工組合員からのいやがらせのためノイローゼになり、腎臓を悪くした。

  このことが新井に一つの人生観を与えた。今後絶対に人の首切りなどするのはしたくないということ。

  まもなく新井はロンドンに勤務することになったが、妻を連れていくことは病気の件で反対したが、本人の強い希望で連れて行った。しかし、いろいろパーティーなどの仕事が多く、結局日本に帰らせ入院となった。

  このことから、さらに今後は絶対に海外勤務は止めて、妻と一緒にいてやろうとする。仕事を考えるならある程度妻に無理を言うところだが、新井は結婚したいきさつもあり、妻を第一と考え商社を辞めることにした。

  各社からの誘いがあったが、本明の勤めていたサンライト工業の社長の目にとまり、入社する。新井は存分に力を出したが、社長の池上の妻恵美子にも気に入られ、恵美子のもっている会社の再建にと指名される。

  恵美子は女帝といわれ、今では一部上場の大会社になったサンライトの人事まで手を出すという。よくテレビに出て「社長のことをおとうちゃま」という。

  何だか帝人の大屋元社長と政子夫人と同じ話である。

  新井は恵美子の指示ということで子会社への出向を断じてことわった。この理由は恵美子という女帝に対する反感もあったが、それよりも子会社再建のためには合理化が必要であり、また首切りによる妻の苦労が考えられたからである。

  社長からは、子会社出向がいやならブラジルへの出向との話が持ち出された。社長にとっては新井は次期重役と考えており、何とかやめさせたくなかった。

  一方本明も次期重役になることははっきりしていたが、本明は入社当時から社長をと狙っており、それには女帝に気に入られる必要があるとし、新井の評判を悪くするようたくらみを企てた。

  本明の考えた通り、新井は子会社出向もブラジル行きも断るが、これは本明の企てによるものではなく新井の人生観、すなわち「首切りをするような仕事はしない」、「妻を一人にして海外へは行きたくない」の2点からの判断で、新井にとっては会社での出世よりも、人生観での信念を貫き通すことになる。

  この信念は誰にも言わずに、サンライトも退職することになった。今後は英語力を生かして、英塾でもやるという。

  自分の信念に従い、人間性を失わず会社で出世するのは、困難なようで、私自身新井の生き方には共感を覚えるし、帝人社内でも新井のような人物が出世することを望む。今の上層部がどんな人間であるか、よく分からないが。

  今我が身を見て、新井に似た先輩は山本さんではないか。足立さんは何だかよくわからん。

  しかし、、今会社を辞めて自分で食っていくのは大変と思う。ということは、やはり自分の信念と会社の利益との接点で今後も進まざるを得ないのか。

  読書しながら、ピアノ名曲集のレコードを聴いた。ラフマニノフピアノ協奏曲、チャイコフスキーピアノ協奏曲、ソナタ集(悲愴、月光 etc)。

  この間、子供たちはかおりちゃんと遊んでいた。夕食もかおりちゃんと一緒に食べる。8時ころ風呂。長女、次女とも頭を洗ってやる。きれいになったが大変。短くすれば楽になると思いながらも、娘とのスキンシップによい機会。

  10~11時まで1時間テレビ(ウィークエンダー)を見て、11時過ぎに寝る。

1983年1月23日日曜日

1983年1月23日(晴)

小説「安宅産業」(阿部牧郎)を読んだ。大企業だから大丈夫と思うのは間違っている。

安宅の場合、安宅ファミリーと呼ばれる一握の人々のみが実権を持っていて、それに反対する人の意見を聞かないのみならず、左遷させ自由な意見の交流が出来なくなっていた。

このため、一部上層の独断によりUSA安宅の焦げ付きを発生させ、取り返しのつかないようになった。

伊藤忠から乗り込んだ社長は極力、中間管理職以外の下の自由な意見を聞こうと努力したようだが、それももはや効果なく、安宅は一部(1/3の人員)を伊藤忠に合併し、その他は切りすてられた。

人員整理については、それぞれの運、不運、たとえばたまたま鉄鋼部門にいれば伊藤忠に移籍したが、繊維におれば首切りというような具合。

またこの場合、それぞれの能力というものは無視されるようで、良くもなく、否もないような者が伊藤忠へ行ったようだ。

伊藤忠へ移籍してももはや出世の望みはないと思われ、能力のあるものはむしろやめて行った。

希望退縮という首切りが完了するまでの各人の挙動、気持ちは、私にとっても将来あるかもしれないという観点から、切ないものであった。

会社が用意した再就職先も、これらはほとんど住友銀行の取引先で、無理やり押し付けられたものということで、たとえそこへ再就職しても将来どうなるか。

主人公三宅は非鉄鋼部門にいた仕事のできるタイプ。日常の業務以外にマレーシアの資源開発プロジェクトの中心人物であった。

このプロジェクトは、他の大商社から引き受けの話があったが、その背後に旧安宅ファミリーの重役が、その仕事を引き継ぎ安宅一族を残そうと考えていた。

これに参加しなかと三宅には声がかかっていたが、当時の上司に譲った。しかし、旧安宅がそのプロジェクトをとるとのことが判明すると、住友銀行はその商社に渡すことは止めて、別の小さな鉱山会社に渡すことにした。

このため上司の課長は退職後行くところがなくなったが、別の話から再就職したとのこと。

最終的には三宅は、このプロジェクトについて鉱山会社に行くか、女房の親戚からの話の民芸品店の大阪支店長になるか選択を迫られ、伊藤忠への移籍は完全になくなる。

これも、三宅自身の運不運で、たまたまこのプロジェクトを仕事にしていたためと考えられる。結局民芸品店に決心するわけであるが、人間の運・不運というのを、自分で何とかできないものか。

しかし、三宅にとってはこの民芸品店長が結局最善で、一時は不運であったが、最終的には運が良かったのかもしれない。

1983年1月22日土曜日

1983年1月22日(晴)

  朝から自動車運転免許の更新手続きのため鮫洲へ行く。住民票(一部200円)をとっていたが、不要だった。写真を鮫洲駅前でとって(2枚400円)、タイプを依頼(850円)、郵送(750円)を頼んだ。

  更新手続きは2000円で結構高い。午後1時ころに帰宅。午後は長女を迎えに駅へ行く。

  夕方図書館にて、小説安宅産業(阿部牧郎)、金環蝕(石川達三)、自らの定年(高杉良)、笹沢版真田十勇士(地の巻き、笹沢佐保) の4冊を借りた。

  午後5時には千代田区公会堂に出かけた。ウィーンモーツアルト合唱団の美しい合唱を聴いたが、長女は興味をもって聴いていた。

  しかし、次女は眠たそうであった。